販売車輌ではありません。
車体本体価格 --- 万円
ライダーであり、チューナーでもある、丸山自らマシン制作に本気になり、ナンバープレートを撤廃し、セルスターターを取り外し、軽量クランク、セパハンなどレーシングマシンとしてのチューニングに切り替わってゆく。
96年の後半から97年にかけて、ふたたび当時の最速クラスF-ZEROクラスで3連勝を飾り、「F-ZEROキング」としてこのCB1000SF BIG1での参戦を、ゼッケン一番のまま締めくくっています。
またWITH MEが一時、レーシングエキゾースト・プロデュースメーカーとして立ち上げるキッカケとなった、BIG1用4-2-1レイアウトのエキゾースト&サイレンサーは、その後のHONDA CB1300SFが4-2-1を採用するキッカケにもなった。
前後ホールは17インチ化されており、かなりのクイックな旋回性を持つ
エンジンはコスワース製、Φ80mmピストンにより総排気量1078ccと10.7:1の圧縮が基本だが、レース出場後半にはは勝つために、13.5:1を越えるほど燃焼室を加工することとなった。
キャブレーターはボアΦ39mmのFCR。ショートファンネル付き。
セッティングは丸山自身が、ストリート用から、徐々にレーシングマシン用として、筑波サーキットでテスト走行をおこないながら煮詰めている。
FCR41φも実際にレース出場において何度もテストを行っている。
フロントブレーキは当時のブレンボ4ポット+Φ320mm鋳鉄ローター。テクノマグネシオのホイールはWITH MEオリジナルのボルトオンKITを介して装着
WITH MEがマフラーメーカーとして立ち上げるキッカケとなったのが、このBIG1用4-2-1レイアウトのエキゾースト&サイレンサー。勝つために、自分がレースしたいと思おうマフラーを自らプロデュース。トヨタ、HONDAなどの4輪フォーミュラーカー・レーシングエキゾーストを制作している加工切削をおこなっている工場に持ち込み、2輪用にレーシングエキゾーストを制作。サイレンサーは当時は市販で使っていなかったドライカーボン。
当初はアップハンのレースだからということでアップハンにこだわり、頑なにハンドルを下げなかった。だが優勝できないレースが続き、旋回力アップのため、フロント荷重を増すセパハン仕様となった。
実際ハンドルを交換しただけでタイプが縮まったそうだ
バックステップも変更されている。
装着されているステップは、販売時にコストを下げる意味と形状が使いやすいので、シフト&ブレーキペダル類にスタンダードのものを流用するタイプとしている。
切削角のペダル類は、何度テストしてもレースでも使いにくかった。
セパハンの装着など、常に勝つための細かな試行錯誤を繰り返していた。
当初はオーリンズ製のツインショックは型式が古く、ツインショックでレースに使えるものがなく、BMW用モノショック用ユニットを、大幅にレース仕様にモディファイを施し、シングルショックを2連装してレースに対応していた。太っといツインショックが話題となり、BIG1乗りは、こぞってこのWITH MEスペシャルオーリンズを装着した。
その後、オーリンズのツインショックタイプにも最新のレース対応品が現れ始め、丸山浩が市販品のオーリンズツインショックのスプリングレートとダンピングをオリジナル設定を施し、BIG1のレース仕様はそのままオーリンズでも販売されるようになっていった。
ホイールは前後テクノマグネシオ(F・350-17R・550-17)に変更されている